伊達忠宗の子息が繋ぐ旧跡
愛姫をめぐる三つの町
田村家の由来
田村建顕と房姫
長谷観音堂
転輪一切経蔵
伊達兵部一族と保性院廟
赤穂事件と一関
もう一つの忠臣蔵
修行道場と思いで
祥雲寺住職と樹木葬


一関の歴史
一関のおもいで
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旧街道から祥雲寺への入り口

 一関駅から旧国道4号沿いに徒歩20分ほど南、願成寺と瑞川寺の間に祥雲寺がある。旧国道4号から参道に入ると、沿道にドウダンツツジ、モミジ、ユリなどが植えられている。洒脱な山門の手前には岩出山方面に向かう旧迫街道が横切り、追分を示す古碑とお地蔵さんがひっそり立っている。元禄二年(1689)、松尾芭蕉が「おくのほそ道」紀行で歩いたのがこの道である。

 この寺は臨済宗妙心寺派、伊達62万石の支藩・一関3万石の藩主・田村家の菩提寺である。ここでは、一関の歴史と関わる数々ものに出会える。山門をくぐると、座禅堂と田村記念館が石段の両脇に建ち、座禅堂のすぐ横に、二百数十年前、飢饉に苦しむ藩民を救った一関藩の名医・建部清庵、関流和算家で、六代一関藩主・田村宗顕の算術師範に抜擢された千葉胤秀の顕彰碑を見ることができる。

 石段を登り切ると、前庭の正面が本堂、隣に庫裏、向かって左側に位牌堂、その奥に伊達兵部宗勝の母の保性院廟覆堂、一切経蔵をおさめた六角堂、長谷観音堂が建ち並ぶ。 (右写真 岩手県指定有形文化財の保性院廟厨子)