新一関市誕生あれこれ
 (2005.10.28 菅原寿さんからお便り)

9月19日
 20日の新「一関市」発足を目前に、一関市庁舎の閉庁式が行われました。
 一関市では市役所玄関前に浅井東兵衛市長ら三役、菅原啓祐議会議長ら関係者や市民約200が出席しました。浅井市長は「当市は市制施行以来、57年6カ月を経過し、本日をもって、その歴史の幕を閉じる。合併はさまざまに困難な局面があったが、市民の理解と支援で成就できた。市民すべての幸せに向かって、新一関市が邁進(まいしん)するよう祈念している」とあいさつ。
 そのあと、市章を表した市旗が役目を終えてポールから降ろされ、浅井市長と菅原議長の手でお盆に納められました。最後は出席者全員で万歳三唱しました。

9月20日
 難産の末、やっと新「一関市」が誕生しました。
 この日は本庁の一関市役所をはじめ、花泉、大東、千厩、東山、室根、川崎の六支所で開庁式が行われました。
 市長職務執行者の松川誠氏は「七市町村が一体となって栄えることを希求し、あすを担う子供たちがこの一関市で生まれ育ったことに誇りと愛着が持てるまちにすることがわれわれの使命である」と式辞を述べました。
 本庁前では関係代表によるテープカット、子供たちの手でくす玉が割られ、人口12万6千人余、県内最大の面積を持つ一関市の誕生を祝いました。

10月2日
 新市発足による一関市長選と市議会議員選(定数四一)が二日、告示されました。
 午後5時で立候補届け出が締め切られた結果、市長選では旧一関市長の浅井東兵衛氏のほかに届け出者がなく、浅井氏の無投票当選が決まりました。
 水面下では複数の立候補の動きがあったそうですが、結局、浅井氏以外に立候補者く、一関市長選としては旧市時代も含め、初の“無風選挙”だそうです。市の名称決定時の狂想曲とは対照的に、静かに市長選は終わりました。

10月11日
 新・一関市の市長に浅井東兵衛氏が就任し、職員の拍手に迎えられ、初登庁しました。
 市役所二階大会議室で行われた就任式の後、新市誕生以降、19日間市長の職務を務めてきた松川誠職務執行者からの業務引き継ぎが行われました。



一関近隣の夏〜秋
(伊藤和衛さんから写真とおたより)

 骨寺村 (2005.10.28)
 だいぶ日中の日差しが弱くなってきました。
 昨日は低山めぐりのハイキングで鬼首温泉にある荒尾岳(980m)に登ってきました。無風快晴、山頂から栗駒山がくっきり見え素晴らしい眺望でした。
 落ち葉のいっぱいのブナ林を長時間かけて、深まりゆく秋を堪能してきました。この穏やかさも、来週あたりから、まもなく冷たい時雨に変わるでしょう。
 写真は先日行った骨寺村の秋の一日です。

 白神岳 (2005.9.8)
 白神岳(1231m)ですが、やっと念願かない10人で登りました。
 1泊2日だったので、もう一つ二ツ森(1086m)にも登ってきました。さすが白神山地は、ブナの森が見渡す限り続いていました。
 ただ、一関から十和田IP経由で5時間半ほどかかり、アクセスに時間を要しました。

 丁岳 (2005.8.29)
 昨夜、秋田・山形県境の丁岳から帰宅しました。
 朝5時出発。登山口まで車で3時間でした。8時登山開始で、気温低めで頂上まで直登一辺倒のきつい登りでしたがなんとか登りきりました。凹凸の激しいアップダウンを繰り返しながら午後3時登山口まで無事下山。7時間の行程でした。この山行の最年長者は73歳の元校長でした。
 この山1145mで頂上までブナの林が続き眺望はよくありません。ひたすら足元見つめての登山でした。途中、断崖絶壁が笹薮に隠れて見えず、足元を踏み外しそうになり、下を見てびっくり。垂直に切り立った奈落の底を見る思いでした。
 帰りは秋の宮温泉でささやかに、疲れを癒し冷たいビール、いい喉越しでした。

 須川岳 (2005.8.1)
 間もなく梅雨明けになりそうだという、天気予報を聞いてほっとしています。今夜も蒸し暑い夜です。なんでも今週末から梅雨明けかと期待しています。
 写真は先週末登ったときのスナップです。この日は台風一過抜けるような青空でした。
 
 焼石岳 (2005.7.20)
 40年ぶりに焼け石岳に登ってきました。今は高山植物の最盛期。実にたくさんの花々が咲いていました。
 焼け石岳は花の百名山に載っているそうです。
 奥羽山脈特有の穏やかで雪渓のある沢が幾筋も点在しています。それに高山植物も豊富です。

 あじさい園 (2005.7.12)
 一関も梅雨入りで毎日飽かずに降っています。
 先日雨の中、舞川のアジサイ園に行ってみました。
 雨天にも関わらず、県外ナンバーの車で一杯でした。

 森吉山 (2005.5.30)
 一関もすっかり梅雨空です。  降ったりやんだりの毎日が続いております。
 添付の写真は6月29日に登った森吉山(1454m)です。
 例年にない残雪で雪渓がそちこちにありました。高山植物も待ちかねたように一斉に花開いていました。
 栗駒山ではちょっと見られない開花時期です。水芭蕉、ザゼンソウ、コバイケイソウ、イワカガミ、キスゲ、白根アオイ、シャクナゲが同じ日に見られたの幸運でした。

 世界谷地 (2005.7.12)
 岩手の山も今日の岩手山の山開きをもって、夏山本番を迎えた感じです。
 一関は生憎の曇り空で、時々雨が降ったりパットしない一日でした。
 先月から早池峰山や黒伏山、森吉山など適宜歩き、足慣らしをしています。
 先週は世界谷地に行ったところ、ニッコウキスゲの見事な群落に遇い、心行くまま飽かず眺めてまいりました。



 第6回全国源流シンポジウム北上川大会
(2005.10.28 菅原寿さんからおたより)

 NPO法人北上川流域連携交流会設立10周年記念事業の「第6回全国源流シンポジウム北上川大会」(千坂げんぽう実行委員長)が10月30日に盛岡市の盛岡劇場で開催されました。

 前日の29日には、ブナの森探訪、川下り、松尾鉱山の中和施設見学などの3つコースのフィールドワークが用意されました。 30日は源流活動の発表に続き、記念講演として、英国出身で環境問題に幅広い提言を続ける作家C.W.ニコルさん(65)が、自らの体験を織り込みながら「森と水と人の繋(つな)がり」と題し、参加者250人に自然保護活動の重要性を熱く語りました。

 講演後は「源流地域の再生と上下流連携」とテーマで北上川流域歴史と文化を考える会の千坂げんぽう会長、中村文明全国源流ネットワーク代表理事らによるパネルディスカッションも行われました。


 配志和神社式年大祭
(2005.10.28 菅原寿さんからおたより)

 配志和神社(岩山芳憲宮司)の四年に一度の式年大祭が110月21日から23日まで、古式にのっとり行われました。

 特に22日は、祭りの中で最大の行事「御巡幸行列」が繰り広げられ、華やかな装束の約千人が笛や笙(しょう)の調べを響かせながら中心市街地を練り歩きました。

 午前10時時半、のろしの合図で同市大手町の一関文化センター前から出発。裃(かみしも)姿の行装吟味役、えぼしと狩衣をまとい騎馬にふんした男児、菊や梅の花を持つ女児のほか、岩山宮司ら神職、神輿(みこし)、神馬などが大町商店街を抜け同神社に向けて静々と進めました。あいにく天候が悪く、大町を過ぎたあたりから、雨足が強くなり、稚児たちが大変そうでした。


 あいぽーと10万人達成
(2005.10.31 菅原寿さんからおたより)

 一関市狐禅寺の北上川学習交流館「あいぽーと」(下田五郎館長)の来館者が10月4日、十万人に達しました。

 十万人目となった方は社会科の勉強で同級生11人と共に訪れた同市厳美町の本寺小学校四年菅原彩香さんです。菅原さんは、前後に来館した同級生の佐藤綾さんと佐々木桜華さん(10)と共に入り口ホールに用意されたくす玉を割ったりしました。

 また、菅原さんには下田館長から十万人目の認定書が交付されたほか、NPO(民間非営利団体)法人「北上川流域連携交流会」が発刊した北上川情報誌「ARC」、ボランティアガイドからの花束が贈られました。佐藤さんと佐々木さんにも記念品が手渡され、来館者全員で記念撮影しました。菅原さんは報道陣の単独インタビューをはにかみながら受けていました。


 ようこそ!一関へ・飛行船
(2005.10.31 菅原寿さんからおたより)

 10月13日、飛行船ツェッペリンNT号が一関上空を通過しました。ドイツ車のPRのために、全国を行脚飛行してますが、青森から南下の途中、本日の13時ころ一関に飛来しました。

 通過時刻をネットで調べて、12時30分ごろ、釣山の運動公園で待機。12時50分ころ蘭梅山のはるか向こうに、銀色の点状の物体を発見。だんだん大きくなってきたので、飛行船だとわかりました。飛行機と違い、エンジン音が静かなため、気付いた人は少なかったと思います。知り合い数人に、「外に出て、空を見なさい!」と携帯で連絡しました。飛行船は旧国道4号線をなぞるように、ゆっくりと南の方へ消えて行きました。


 SL「奥州義経号」
(2005.10.17 菅原寿さんからおたより)

 JR東北線一ノ関−盛岡間で10月8日から10日まで、D51型蒸気機関車のSL「奥州義経号」が走りました。この区間の運行は12年ぶりだそうです。(実は10月1日から同じダイヤで試運転されてました)

 8日には一関駅で出発式が行われ、多くの人がSLを見送りました。沿線の撮影ポイントにもたくさんのファンが詰め掛け、雑踏整理にガードマンも配置されてました。

 このイベントは事前には地元ではあまり知られていなくて、東京駅とかに告知のポスターが貼られていたとか・・・これも民間企業の営業戦略なんでしょうね。