一関に単身赴任していたころ、「朝粥会」に参加していた。毎週木曜日朝、世嬉の一に集まって、自分たちで用意した(といってもほとんど世嬉の一のご厄介になりっぱなし)食事をとりながら、一関の話題でにぎわった。単身赴任者の集まりだったから、当然夜の集まりも多かった。(右写真 世嬉の一での朝粥会)

 1996年11月、青年会議所主催の「今、一関から世界へ!」と題して、一関からの情報発信についてのパネルディスカッションがあり、岩手日報一関支社長だった宮沢徳雄さんがコーディネータを担当した。基調講演はフリーのアナウンサーだった戸田信子さん。私にとって「地方からの情報発信」を考えるきっかけになったセミナーだった。(左写真 パネルディスカッション)

 その後、朝粥会の会長だった宮沢さんとは、「一関からの情報発信」について何度か話した。1997年3月、朝粥会の夜の部で、「一関からの情報発信にはホームページが有効だ」と言ったところ、宮沢さんから「だったらあなたがやってみては」とそそのかされ、酒の勢いも手伝ってホームページをつくることになってしまった。そして4月7日に「一関からこんにちは」がスタートした。

 そのころ、遊び仲間の会「話せばわかるコンピュータの会」が一関青年会議所と連携してホームページの作り方の講習会を行った。教材用にサンプルページを自分で作ってみて、これなら自分のホームページを作れそうな気はしていたが、始めてみたら問題続出。ホームページを作る方法はわかっても、何を書くか、どう表現するのかが大きな課題だった。(右写真 ホームページ講習会)

 何を書くかの参考になったのは、岩手日報社から出版された「磐井の四季」。岩手日報に掲載された記事の中から、一関の自然、風土、歳事などをまとめた本が出版され、原稿の段階から見せて頂いた。それと、岩手日報、岩手日日、河北新報のローカル三紙を読んだ。目標は新聞に出ないような話題、新聞ではできない表現、一関が元気になるような情報発信を目指すことにした。岩手日報の宮澤徳雄さん、石杜有慎さん、河北新報の毛利良一さんには取材方法、記事の書き方、資料収集などについてご指導頂いた。(左写真 磐井の四季)

 最初の取り上げた話題は釣山公園の紹介。原稿は岩井憲一さんに書いて頂き、写真は横田実さん(故人)が撮影したものを使わせて頂いた。その後、自分でも写真が撮りたくて横田実さんに写真の取り方の指導を受けるようになった。自分で撮った写真を使うようになったが、「一関からこんにちは」の写真は横田さんの写真が多く、横田さんは取材スタッフの重要メンバーになっていった。

 「釣山公園の木曽五木」で及川和男さんに指導して頂き、それから「文学の蔵」設立活動の会にも入れて頂いた。及川和男さん、三好京三さん、村田久さん、小池平和さん、佐藤晄僖さんにはいろいろ教えて頂いた。それがきっかけで一関と文学もテーマに取り上げるようになった。夕方になると酒が恋しくなり立ち寄った「むぎ」。そこで出会った千坂げんぽうさん、岩井憲一さん、金内清さんらには原稿を頂いたり取材に協力頂いた。横田実さんとの関係で一関星の会のみなさんとも知り合いになり、一関から我孫子に戻った今も菅原寿さん、佐藤敏朗さんらには取材や写真撮影をお願いしている。(右写真 ヘールボップ彗星・横田実さん撮影)

 「話せばわかるコンピュータの会」の活動は多岐にわたり、メンバーも多士多才だった。佐藤清忠さん、平澤和則さん、千葉忠悦さん、古内俊郎さん、石井進さん(故人)、佐藤守彦さん(故人)から教えて頂いたことは多々。イベント作りの楽しさを覚えたのもこのころだった。ゴルフしか趣味のなかった私だったが、石井さんに連れられて栗駒山や焼石岳、ブナ林を歩く内にすっかり自然のとりこになった。そのうち自然保護が気になり始めた。「森は海の恋人」運動で室根の山への植樹を取材していた清水祐喜さん、衣川でユニークな活動をしていた渡辺清文さんともメールやりとりから始まって、一緒に山を見て歩くようになった。(室根植樹祭で増田知事も植樹)

 興味のあることにはジャンル問わず、だぼはぜのように見て歩いた単身赴任時代、いろんな方にお目にかかり、たくさんのことを教えて頂いた。私にとって一関はこころのふるさとのような存在になっていった。 一関から我孫子に戻ってからも、友だちが書き送ってくれる出来事を「一関通信」として掲載してきた。

 一関での生活が終わって5年目、「一関からこんにちは」のパートナーであった友の旅立ち、年々進化を続ける一関と私の記憶の内にある一関の乖離が気になり始め、近隣との合併で新しい一関が誕生するのに合わせて「一関からこんにちは」を「一関のおもいで」と書き直すことにした。これからは、過去に書いたものを思い出として書き直し、しばらくの間掲載しておくつもりです。「一関からこんにちは」を掲載させて頂いたクリコマネットには、掲載容量など多大なご支援を頂いた。多くの方に支えられ、アクセス数50万アクセスを越えたことで、一つの試みとして「一関からの情報発信」を始めた当初の目標をクリアできたと思いたい。感謝、感謝です。